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今学期の反省

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  私は今学期を振り(ふり)返ってみると、少し達成感ではない感じがあります。私は今年の夏の時に、沢山の単語と文法を勉強しましたが、今学期の授業では使いにくかったと思います。全部の習った言葉と文法を覚えることは難しいです。だから、来学期、もし上級四の日本語の授業を取れるなら、一つ目の授業から、単語と文法を頑張って勉強して、よく使う予定です。習った言葉を思い出しにくかったですが、上級三はとても楽しかったです!日本語以外の授業は良かったです。会計はとても忙しいですが、沢山新しい会計の概念(がいねん)を学びました。その上、来学期私は日本語、経営学、会計学、経済学の授業を取る予定です。来学期はなかなか忙しいかもしれません!  卒業した後に、私は大学院に通う予定です。会計の勉強をするつもりです!大学院を卒業した後に、いつか、日本の東京に住みたいです!それから、他の東アジアの街に住んでみたいと思いますが、中国と台湾の政治状況はまだ悪いので、多分もう待とうと思っています。中国語を話さない国以外、私は韓国語と南東アジアの言語を全然話せないので、住んでみたくないと思います。そして、暑すぎます!入江先生とレーンさんも知っているんですが、私は寒い天気の方が暑い天気より好きです!けれども、もし生活水準(すいじゅん)は良いなら、暑い場所に住んでも良いです!二十年代の後の予定はまだ考えていません! 東京の写真です。

磁器

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磁器   私は磁器(じき)について書きたいと思う。なぜかと言うと、私は磁器が大好きだからだ。私は2014年に中国に行った時、沢山の綺麗な磁器を見た。  磁器は600年頃中国で発明された。最初に、唐朝(とうちょう)時代に磁器が発明されて、中国で普及しました。唐朝では618年から907年にかけて、磁器が人気になった。唐朝の次の宋朝では、外国との磁器貿易が起こった。宋朝の時、磁器は有名な輸出品になって、磁器貿易を増やすために、政府は四つの港(みなと)を作った。磁器の評判(ひょうばん)は質の高いし、デザインが綺麗だし、本当に特別な工芸品だ。宋朝から清朝に至るまで、中国の磁器はずっと人気だった。磁器は非常に人気があったので、今の英語で、磁器はチャイナと呼ばれている。現代、磁器はまだ有名だが、中国以外の沢山の国で質の高い磁器が作れるので、昔と比べれば、中国の名所では無くなった。  磁器は高陵土(こうりょうど)か磁鉱(じこう)という白い粘土(ねんど)で出来ている。磁器の作り方は少し複雑だと思う。まず、用意する物だが、磁鉱、長石(ちょうせき)、石英(せきえい)、水と他の鉱物(こうぶつ)があります。それから、機器も要る。まず、最初に、磁鉱と他の鉱物と一緒に混ぜて、洗って、乾かす。その後に、水と一緒に 混ぜて 、形作ることが出来る物質(ぶっしつ)になる。その次に、作りたい形を形作る。そして、湿気を取り除く(しっけをとりのぞく)ために、ゆっくり乾かす。次に、窯(かま)を入れて、締焼(しめやき)が終わって、上塗りしる(上塗り)。上塗りをする時、作りたいデザインを描く。最後に、少し変更(へんこう)をして、検査(けんさ)をしたら、出来上がる!上の説明は簡単な要約だが、もし詳しい磁器の作り方を学びたいなら、ネットでぜひ調べてみる。磁器の作り方は絶対に思ったより複雑で、難しい。書いた後に、私は多分磁器は普通の「こうげいひん」ではないと思う。  磁器の製品はよくお皿か装飾(そうしょく)だ。本当のアート作品だと思う。私は磁器が大好きだ!小さい時、お母さんは綺麗な磁器をよく買ったんだが、私はよく使った。私達の磁器は中国から来たか分からないが、絶対に中国の影響を受けてきた。私はいつか磁器を買おうと思っている! 清朝の磁器です!

猫の段ボール家

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  私は手作り物を作ったことがないんですが、私は猫の段ボール(だんボール)家の作り方を説明したいと思います。私はなぜかというと手作り物を作ったことがないからですが、小さい時、遊ぶのために、段ボール要塞(ようさい)を作りました。私は猫達は箱が大好きだと思います。  まず、用意する物ですが、たくさんの段ボールがと鋏とテープがあります。まず、他の用意の必要はないです。では、作ってみましょう!  まず、最初に、猫の大きさに合わせて、四枚の段ボールの壁を鋏で切ります。次に、屋根(やね)の二枚の段ボールを鋏で切ります。この時、六枚の段ボールがあります。もし段ボールで床(ゆか)を作りたいなら、もう一枚切って下さい。そして、一枚を選んで、大きな丸を切って下さい。その枚の丸は入口です!  それから、一枚目の段ボールを床に置いて下さい。家の上に、四枚の段ボールを使うと、四角を作ります。全ての角に、テープを二枚を使うと、床と壁を繋いでください。各壁の下にテープが二枚を貼ります。そして、二枚の屋根を使うと、小さい山という三角形の屋根を作りますが、天井はないので、屋根は二枚で作ります。屋根と壁の各部合わせ目に、テープを二枚貼って下さい。その屋根の口は非常口です!  最後に、家を部屋の角に置いて下さい!それで、部屋全体を見渡せます(みわたせます)。出来上がったら、猫を呼んで下さい!私は猫はすぐ入ると思います。猫は箱と箱のような物が大好きだと思います。 この写真はインスピレーションです。ネットで、調べる時、これらの写真を探しました!

漆器(しっき)

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   私は日本の漆器(しっき)が好きなんですが、私は日本の函館にいるうちに、私は毎日とても綺麗なお皿を使いました。そのお皿は漆器です!とても綺麗だし、各お皿のデザインはユニークなので、大好きです。そのお皿を作る時、お皿の上にラッカーを塗(ぬ)って、漆器になります。お皿を持つと、ラッカーのデザインに触れます。漆器は日本の伝統工芸です。そして、色々な漆器があります。  歴史上で、縄文時代に人間は漆術(しつじゅ)から生漆(きうるし)を得られる気がつきました。だから、漆術を通して、漆器が発明されました。古代に、日本の漆器デザインは中国語から影響を受けてきましたが、独自のデザインもありました。中国の漆器に対して、漆器もとても普及したというのは事実です。  漆術デザインの元はちょっと不明(ふめい)なんですが、メトロポリタン美術館によると、平安時代に中国語から伝わったそうです。その後に、日本人は日本的に変化しました。日本の平安時代に他の文化点と共にその伝統工芸は日本的に変化したが、Mark Hudson学者によると、縄文時代から日本人は単独で(たんどくで)漆器を発明して、発展しました。  けれども、日本の漆器デザインはどこから来たか分からないんですが、中国から絶対に影響を受けてきました。例えば、奈良時代の時、唐朝から金銀(きんぎん)のデザインを積極的に取り入れました。それから、奈良時代から、日本と中国はよく漆器の交流をしました。室町時代から、漆器は人気の輸出になりました。江戸時代には、漆器は発展し続きましたが、二十世紀になると、漆器は少なくなりました。現代、漆器復興(ふっこう)をしていると思います。現在、色々なデザインスタイルがありますが、私は簡単なお皿の漆器が好きです!お皿以外、よく箱と装飾(そうしょく)の漆器もあります! 参考文献(さんこうぶんけん): Art, Department of Asian. “Lacquerware of East Asia: Essay: The Metropolitan Museum of Art: Heilbrunn Timeline of Art History.” The Met’s Heilbrunn Timeline of Art History , 1 Jan.       ...

キリスト教

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   私はキリスト教について話したいと思います。なぜかと言うと、私はその歴史を全然知らないからです。私は習いたいです!  最初に日本に行ったキリスト者は1542年にポルトガルから来ました。1542年にポルトガル人は九州に着きました。1542年から1587年にかけて、キリスト教の宣教師(せんきょうし)は多くの九州と西日本人を改宗(かいしゅう)させました。1587年にヨーロッパは世界で植民をしていて、特にアジアでしていたので、ヨーロッパの勢力(せいりょく)が多くなりました。それから、キリスト教の影響もどんどん強くなったり、キリスト教は海外で日本人の奴隷(どれい)を売らせられることと関係があったりので、それに豊臣秀吉は自分の勢力を心配していたので、宣教師の禁止しました。  1597年に、豊臣秀吉は二十六人のキリスト者を殺しました。その上、1637年から1638年まで、島原の乱が起こりました。島原の大名は税金を上がったり、キリスト教を禁止したので、浪人とたくさんのキリスト者の農民は一緒に反しました。次の諸軍、(しょぐん)徳川家光はその反発を負けした後に、キリスト教を禁止しました。1639年に徳川家光は日本を鎖国しました。  1639年の鎖国から1853年の明治維新至るまで、キリスト者は少なくなりました。たくさんのキリスト者は改宗させられたり、殺せられたので、残っているキリスト者は隠れキリシタンになりました。隠れキリシタンというのは教会に行けないで、人知れずにキリスト教を信じ続けているということです。  明治維新から現代至るまで、キリスト者の人数はどんどん多くなりました。現代、日本人口の約1.5パーセントはキリスト者です。キリスト者の人数はとても少ないけど、キリスト教式結婚式は普及していて、とても人気です。そして、クリスマスやバレンタインデーなども一般的な日本の行事になりました。それらの行事とことを考えると、日本は絶対にキリスト教の影響を取り入れました。おそらく将来日本のキリスト者人口は安定するだろうと思います。 日本の教会 参考文献      “Christianity.” In Japan , www.japan-guide.com/e/e2298.html. Accessed 30 Oct. 2023.

ジョン・ロックフェラー

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  私はジョン・ロックフェラーについて発表したいと思います。なぜかと言うと、ロックフェラーはアメリカの歴史上、一番お金持ち人です。 ロックフェラーは誰でしょうか。  ロックフェラーは1839年から1937年にかけて生きました。ロックフェラーは石油(せきゆ)営業(えいぎょう)を通して、世界一のお金持ち人になりました。1937年にロックフェラーの純資産(じゅんしさん)はアメリカの国内総生産(こくないそうせいさん)の一点五パーセントです。今年の御金で言うと、ロックフェラーの純資産は四千億ドルです。今日、その純資産は世界の百七十国の国内総生産と並んで高いです。歴史上、ロックフェラーは一番上手い実業家(じつぎょうか)の一つです。 ロックフェラーはどのような人生を送ったのでしょうか。  ロックフェラーは1839年にニューヨーク州の田舎で生まれました。小さい時、ロックフェラーは数学が得意(とくい)でした。1853にロックフェラー家はクリーブランドに引っ越しました。そして、大学に通わなくて、1855年に十週間で専修学校(せんしゅうがっこう)に行きました。その時、会計と金融(きんゆう)の習慣と方法を勉強になりました。  ロックフェラーは1859年に近所の人と農業(のうぎょう)商品の貿易企業(きぎょう)を起業(きぎょう)しました。南北戦争(なんぼくせんそう)の時、ロックフェラーは稼ぎ(かせぐ)ました。けれども、ロックフェラーは農業商品の企業は発展天井(てんじょう)は低いと思ったので、石油と鉄道(てつどう)の産業(さんぎょう)を目に触れられました。その時、ペンシルベニアの石油企業が早く起こりました。それから、ロックフェラーはクリーブランドはアメリカの東海岸(ひがしかいがん)とシカゴの真ん中にあるので、石油ばかりでなく鉄道企業も大切になっていくと思いました。  1865年代にロックフェラーはパートナーを買収(ばいしゅう)しました。その後に、石油精製(せきゆせいせい)を作りました。新しいパートナーが来て、1868年になると、Rockefeller, Andrews & Flaglerという石油精製企業は世界一大きい石油精製企業になりました。アンドリュースと フラグラーはビジネスパートナーでした。  1870年にロックフェラー、アンドリュース、フラグラーはもっとビジネスパートナー同士と...

アレクサンドロス

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  アレクサンドロス  私はアレクサンドロスについて話したいんですが、古代マケドニアの王です。アレクサンドロスは紀元前(きげんぜん)356年に生まれました。その時、マケドニアはギリシャの北にありました。アレクサンドロスのお父さんに対して、紀元前338年にピリッポス王はギリシャを征服(せいふく)しました。その後に、ピリッポス王はアケメネス朝を征服したがっていました。紀元前4世紀にアケメネス朝は世界で一番強い帝国(ていこく)でした。それから、大きさという点から考えると、その時のアケメネス朝は人間の歴史で一番大きい帝国でした。  けれども、336年にピリッポス王は突然暗殺(あんさつ)されました。従って、アレクサンドロスは二十歳の時にマケドニア帝国の王になりました。アレクサンドロスはお父さんと同じような目標がありました。アレクサンドロスはアケメネス朝を征服したがっていて、アジアに帝国を拡大(かくだい)したがっていました。紀元前336年から紀元前334年まで、アレクサンドロスのマケドニアはアケメネス朝と戦争していました。マケドニアの軍隊の方がアケメネス朝より小さかったにもかかわらず、マケドニアが勝ちました。アレクサンドロスの指導(しどう)と軍隊の賢い戦略(せんりゃく)という理由で、アレクサンドロスが全ての戦い(たたかい)に勝ちました。その後に、アジアでもっと戦役(せんえき)をしました。亡くなるまで、アレクサンドロスは戦役で軍隊の指導をしていました。それから、亡くなるまで一つの戦いも負けませんでした。アレクサンドロスの夢は全世界を征服したがっていました。でも、紀元前324年にアレクサンドロスの軍隊はインドに入る時、軍隊が反乱(はんらん)しました。  どうして反乱されたのでしょうか。紀元前327年から、マケドニアは南アジアに入って、南アジアの王国(おうこく)と戦いました。でも、南アジアの王国の軍隊は大きかったし、象を使っていました。だから、アレクサンドロスの軍隊が勝ちましたが、死傷者(ししょうしゃ)は多くなったし、難しさは高くなりました。そして、現代のパキスタンの場所を征服された後に、アレクサンドロスはインドも征服する予定です。けれども、インドの軍隊の方が前の敵より大きかったです。そして、インドは暑いし、色々な熱帯病(ねったいびょう) があるので、紀元前324年に軍隊はそ...